寂しさが優勝かも

人を一番つらくさせる感情は、悲でも怒でもなく寂かもしれない。この世に味方が誰もいないかもしれないと感じたとき固まる。正常化バイアスがかかり、そんなはずはない、あれ?誰も私がいなくても寂しくない?困らない?なんであたしはここに1人でいるの?と思う瞬間がとても辛い。
怒は原動力になる。なにくそー!!と奮い立てる。悲は悲の原因がはっきりしているから心から悲しめる。もちろん悲が何かにもよる。取り返しのつかない悲も世の中にはある。

私は学生時代からみんなで何かをするのが好きだった。サークルの合宿でやるみんなでのゲームや飲みや、一人でいる人を誘って半強制的に仲間に入れてみなで一緒に何かするのが楽しかった。ある日「あつこは楽しいかもしれないけど一緒にやりたくない人もいるんだよ」と友達に言われ目から鱗だった。そっかー!そういう人もいるんだ!とあたしはどんだけ狭い視野で生きていたのか、今思うと恥ずかしい。それから無理やり誘ったりすることはやめるように気を付けてきた。

しかし今、そればっかりでいいのかなーって思う。コロナ禍もあり人との付き合いが激減。無駄な飲み会がなくなり新しくいろんなものが見えてきた。本当に今必要なものは?やるべきことは?仕事と家庭の両立に向かえる?今までの常識がくつがえされた素晴らしい時代になったと思う。

ただそれと「人に無関心になる、困っていても助け合わない。」は違うことだ。若者はクールに決めてかっこいい時代。ツンデレ?でもさ、だれにも言えないけど1人で寂しさを抱えて今にも崩れ落ちそうな人も子もいるんだよね。だけどそれを外に出せないのよ。だから周りが見ていてそんな人がいたらおせっかいでも嫌がられるかもしれなくても「だいじょうぶ?」って声をかけてあげたいと思うんだよ。一緒にやろうよーっておせっかいをしたい。

人の心なんてもろいんだよ。ちょっとしたことで傷つくようにできてて、だけどそれに気づかないふりをしないと生きていけないくらい繊細で、みんなどこかで自分を麻痺させてさ。Lineの文章は結構きつい言い方だけど、「こんなの普通だよ」って普通に返してるよね。だけどそれ普通じゃないから。そんな言い方は自分だってされたら傷つくってこと、気づかなきゃいけないんだよ。ほんとは。いやほんとは気づいているんだろうけど、みんなが言う「普通」にのって生きようって頑張ってるんだよね。でもそんなのだめだよ。

あっちゃんの最近の一番の寂しさはね、笑わないでほしいのだけど冗談のようで冗談じゃない。夜、家族団らんでビール飲んでてそのうちみんなで寝転がって映画観てていつの間にか寝ちゃって気づいたら家族全員誰もいなくて私ひとり残されててさ、この世に1人か、とすっごい孤独感だった!

そうなんだよ。こんなことでも孤独を感じる人間は弱いものなんだよ。
だから逆にいうとね、誰かひとりでも味方だと思える人がいれば、強くなれる、生きていけるんだよ。
みんなが「誰かの一人」になれたら寂しい人が減るんだよ。
私はそんな一人になりたいと思う。

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