激怒落胆
園児が卒園後に入学する小学校へ子どもの様子を知らせる「連絡会」に参加した。先生からの質問
「小学校はルールがありますが守れますか?」
「授業はイスに座って受けますが座っていられますか?」
・・・・・・・・・・呆れて物も言えなかった。第一声がその質問?!そこが一番大切?あなたはイスに座れるか座れないかで人を判断する人ですか?本当に大切なこと、知るべきことはもっと他にあるのでは?
もしも守ってほしいルールがあるなら守ってもらえるよう、ちゃんと子どもに説明すればいい。そのルールがなぜ必要かきちんと話をすれば子どもだって必要性を認めて守るだろう。意味の分からないルールが多いから子どもはスルーする。そもそも本当に子どもにとって必要なルールなのだろうか?いや、ほとんどが大人都合のルールだ。大人が授業をやりやすいように、みな同じで個性を潰したほうが指導が楽だから、手がかからないから、静かな教室は一見いい授業をしているように見えるから、そんなルールばかりだ。
はっきり言って子どもにルールは必要ない。命に関わること、大きな怪我につながること以外、まったくもって必要ない。子どもは自分で考え決めて行動できる生き物だ。それをできなくさせているのは日常茶飯事の大人からの「否定」。一日にいくつ子どもを否定した言動をしているか数えてみてほしい。新たな自分を発見して驚愕するだろう。そして大人たちは今あるルールは何のためか説明してほしい。説明できない、自分でもわかっていないルールを課すなんて子どもに失礼極まりない。
大人は自分がされたらどうか、をまず考えてほしい。大人が嫌なことは子どもだって嫌なんだよ。 同じ人間だもの。
そして勘違いしているようだが、ようちえんや保育園は小学校の準備期間ではない。小学校に入ってからやることは、入学してからやればいい。子どもは本当にやりたいことはすぐできるようになる。何より6歳までの幼児期にしかできないことがたくさんある。大人の脳の80%ができあがる6歳までに、できる限りの体験をし感じ自分で考え行動する力、思いやる気持ち、協調性、探求心、すべての生きる力を得るのだ。今までそうやって7回卒園児を送り出してきた。
世の中の大人さま。子どもは偉大です。大人なんか足元にも及ばないくらい偉大で天才です。自分が忘れてきたことを子どもからたくさんおしえてもらってください。子育ては自分の過去に旅をするものだと思っています。
話を戻して。ルールがどんな意味を持つかきちんと子どもに説明して納得したら子どもは守ると思いますよ、と先生に言うと「あー、今年は人数がすごく多くて1クラス30人になりそうなんですよー」と言った。
・・・・・・・・・・・・・・だから?
悪いけど私のころは1クラス45人でしたが先生と生徒の絆は強くあり、今で言う体罰もありましたがそれで先生を恨む子はおらず信頼し合っていました。なぜなら子どもでもわかる愛情が先生から感じられたからです。人と人の繋がりや絆は話す時間の長さではなく、人数でもなく、先生の人間力が大事なのです。先生は人を育てるのが仕事です。そのためには子どもに信頼してもらう努力は必須です。 先生が魅力的にならないと。
子どもから信頼されていますか?信頼されていなければそれはあなたの問題です。
あ、元の質問に戻ろう。「小学校はルールがありますが守れますか?」
森のようちえんはよほど誤解されているのか、全部の園にその質問をするのかわからないけど、風りんりんにもルールはあります。でも大人が課したルール「命にかかわること」「大けがにつながらないようにすること」の最小限だけ。その分子ども同士で決めたルールは数知れず。しかもそれは子どもたちが「必要」と認めたルールなのでみんなで守るし新入園児が入ってきたら大きい子が教える。意味も。これが本来の人の姿ではないか?
人間は誰に教わることなく、道具を使い自分たちに必要なルールを自分たちで決め発展してきた。本当のルールは自分たちで決めるものだ。それ以外は誰かのためのルールだ。誰かのためのルールを押し付けられても納得いかないのは当然だ。大人を楽にするために子どもは存在するのでない。
髪を染めたらなんでだめ?スカート長いとなんでだめ?ピアスは?
別に命に関わることではない。風紀が乱れるというが、風紀って何?判を押したように同じルックスを強いられることへのストレスのほうがよほど心の風紀が乱れる。見た目が一緒なら風紀が整っていると判断するのは面倒臭がりな大人の怠慢だ。
人と違うことに意味があるんじゃないかと思う。髪がピンクで服装もみなばらばらな方が見ている方はとっても楽しいし、本人がそれでやる気がでるならそれが一番大事。 人と違うことをすることでデメリットは何もない。いやメリットだらけだと思う。
自分にとって何が一番いいか?本当は何をやりたいか、それを追求すればいい。そうすれば世の中はみんな幸せになる。人のことをとやかく言う暇があったら鏡見て自分をもっと磨けばいい。
「椅子に座っていられますか?」
への答え。
今何をすべきか、子どもは自分で考えます。
もし座ってほしいならおもしろい授業をしてください。
つまらない講義を聞くのは大人だって辛いですから。
いや、もっとおもしろいなら身を乗り出すくらい立って聞いてくれるほうが嬉しいですよね?
大事なのは中身です。
そしてもっともっと子どもを信じてください。
子どもって本当にすごい力を持ってるんだよ。
では、逆に学校の先生方の何をどこまで知って理解してそこまでおっしゃっているのでしょうか?
学校側の気持ちや想いを理解しようとはされていますか?
風りんりんさんの勝手な思い込みは全く1つもないでしょうか?
相手の意見も聞き、よく話し合われていますか?
もしそうでないのであればお互いに分かり合える努力をもっとするべきではないでしょうか?
今の日本を鳥取を生きる子どもたちを心から心からおもうのであれば…。
そこまで学校を嫌い、全ての先生方を批判するように受け取れる書き方、私個人的には納得できません。
そして、そこまで批判し学校の教育に納得いかないのであれば、きちんと風りんりんがその代わりとなる居場所を作らなければいけないのではないですか?
風りんりんを卒園してからもその子たち全て、一人ひとりがその子らしく過ごせる居場所をお作りになることが1番では?
風りんりんの小学校、中学校…と。
その場所を確実に作ってから、風りんりん独自の乳幼児教育をするべきだと思いますが…。
今の日本での乳幼児教育に中途半端な手の出し方をすれば、結局卒園後、そのギャップに困っている子がいる。
社会とのギャップに苦しむその子の居場所はなぜ保証されないのですか?
今の風りんりんは少し無責任すぎるのではないかと思います。
風りんりん的にいえば、それもまたその子の人生であり、それもまた生きていく力となる。その子の人生はそれで終わりではなく長い人生のあくまでも通過点。なのでしょうが…。
それも生きていく上で大切なことなのかもしれませんが、個人的に心から納得できませんし、心が痛みます。
何度もすみません。失礼します。
井上さま
メッセージをいただいていたのにお返事おそくなりました。
井上さまのおっしゃる通りだと思います。私も学校をつくりたいと以前から思っていました。まだ形にできてはいませんがいつかはという思いでいます。
私は学校を嫌って、全先生を批判しているわけではありません。実際私はいい先生と出逢って今でも感謝している方がたくさんいます。今でも学校は遅くまで明かりがついていますし、たくさんの仕事に向かって先生方も必死で頑張っていらっしゃることはよくわかります。しかしその先生方が自分が思い描く教育をできる環境にあるのだろうか?と思います。雑務と体制の中では子どもと対峙する悩みではないもので押しつぶされてしまうのではないかと。それは保育の世界でもあって、子どもが好きで保育士になったのに書類仕事に追われて転職する人も多いのが現実です。
私は大人の意識が変わらないと日本の自己肯定感の低さは変わらないのではと思います。子どもは「おしえてあげないとわからない」「しつけないと善悪がわからない」と思っている大人が多いのではないでしょうか?風りんりんの子たちを見ていると0歳、1歳でも自分で考え行動していますし、大きい子は「鍋忘れたから今日はボールでお味噌汁を作ろう!でもボールは小さいから野菜炒めにしちゃおう!」など何がなければ何を代替えにしてとか、「こうしたらできる!」「やっぱできなかったから今度はこの方法で!」など次から次へとこれぞ生きる力を身につけています。うまくいかなかったときこそ成長のチャンス!ここで大人が教えてしまうと子どもは考えることをやめてしまいます。大人が手出し口出しをしないことで子どもは思いっきり考え成長することができます。
風りんりんでは家では見られない園での我が子の姿、他の子たちの様子、スタッフとのやり取りを見にきていただいています。我が子の逞しさを知って子どもを信頼して待つ子育てができたら親も楽になる、笑顔が増える、子どもも嬉しいのです。
大人も子どもも否定されるのではなく、みんな違うよね~が普通になる世の中は、みんな自分が大好きで、今よりもっと幸せな世界になると思います。
井上さんに問われた「その子の将来は風りんりんには関係ないから・・」の部分ですが、私は幼児期に生きる力のすべてが身につくと思っています。命の根っこみたいなものです。毎年それを心に持って卒園していけるよう、スタッフみなで試行錯誤しながら頑張っています。でも子どもは勝手にいろんな力をつけていくんですよね。ほんと大人はかないません。
子どもも大人も自分が自分を大好きになる世の中になるよう、幸せな親子だらけの世の中になるよう日々精進していきます、
この度はご意見、ありがとうございました。