先輩の声

東京から移住のTさん

「東京にはない、奥行きと器の大きさを感じます」5年前の春、私は子ども3人と私の4人で住む場所も決まっていない状態で鳥取へ降り立ちました。

鳥取には、移住定住体験施設があり、気軽に安心して移住体験ができ、その土地での生活を満喫しながら定住先を探すことが出来ます。夫不在の数ヶ月間、右も左もわからない私達親子をご近所の方は温かく支えてくださったし、市の職員の方々や子どもの学校、幼稚園のスタッフの皆さんも本当に親身に対応してくださいました。

そして山陰のイメージすら湧かぬまま飛び込んだ鳥取は、四季がとても身近に感じられる、実り多い、豊かな土地でした。東京で生まれ育ち、それなりに幸せに暮らしてはいましたが、この5年を振り返ってみると、Iターンでまったく新しい生活を始め、たくさんの出会いや子どもの成長を通じて、私自身もまた成長していけているように感じます。

自分がより自分らしく、子どもたちが子どもたちらしくのびのびとおおらかに過ごせていて、ここには東京にはない、奥行きと器の大きさを感じます。やはり、百聞は一見にしかずです。是非一度鳥取へお越しください。

東京から転勤で鳥取に引っ越したNさん

「幼児期をどう過ごすかって、結局は親のわがままで決まるんじゃないかなーと思います」夫の転勤で3年間鳥取に住んでいました。その2年目の春に風りんりんが開園すると知り、これは入れるしかない! と思って年中になる長女を入園させました。

私は2歳になる次女を連れ、週1で親子組に参加。その後第3子を授かったこともあり、次女は満3歳になったなった年明け1月に正式入園。長女の卒園と同時に転勤となり鳥取を離れましたが、結局長女は丸2年、次女は1年3ヶ月風りんりんに通うことができました。

森のようちえんに行ってどうだったか?
楽しかったです。私が。親としての覚悟ができたというか、心構えができたというか。

あっちゃんによく言われたのは、「目は皿に、耳はダンボに、口チャック、手は後ろ」。そうそう、ほんとにこれです。見守ってれば、子どもはそれで大丈夫。大人って、どうしても先回りして注意してしまうんですよね。でも風りんりんにはそれがない。命の危険がない限り、大人は見ているだけ。こんな私にも、「じっと待つ」ことが(少しは)身に付きました。待つって大事ですね。子どもだってちゃんと考えてるんだもん。自分の気持ちと折り合いをつけてるんだもん。親子組や保護者の当番で参加したとき、あ、そうやって解決するんだねーと学んだことが多々ありました。

それから、どこまでの覚悟を決めるか。
森のようちえんって、ケガしたり危ないこともあるんだろうなーと思いましたが、でもよく考えたらそれはどこも一緒。ただ、普通の幼稚園や保育園に預けるとそこまでは頭が回らないんですよね。先生にお任せしてしまうというか。その点では、風りんりんに預けたことは大きな気づきでした。子どもが大ケガをしたらどうするか。させたらどうするか。クッキングのときに包丁は使わせられるか。やけどしたときはどうしたらいいか子どもは知ってたっけ……。そんな諸々を考え、備えられることには備える(保険に入るとか)。教えられることはきちんと教える。考えてみたら当たり前なんだけど、これが親の役割なのかなーと思いました。

あと、何よりの財産は、この歳になって本音で付き合える新しい友達ができたことです。森のようちえんってやっぱり特殊だから、スタッフにも遠慮なんかしてられないんですよね。なんで? と思ったら話し合いの場を持ってもらう。そういった場があるのはやはり重要でした。保護者のみんなも愉快な人たちばかりで、楽しかったなー。社交辞令的な付き合いなんてなかったから、ほんと面白かったです。老後は鳥取に戻りたいな……。

それはさておき、子どもにとってはどうだったのか?

正直、分からないですよね。でも、長女も次女も(長男も)、しっかり育ってます。長女なんて、今まで経験したことのない「座ってお勉強する」のがとても楽しいらしく、何の苦も無く小学校生活に馴染んでます。

ここまで書いて、何か森のようちえん的なエピソードはなかったかなーと思ったのですが、そういえば、長女はよく仲間はずれにされたり、きつい言葉を言われたりしていたようです。私もなんとなくスタッフから聞いていただけなので、特に長女に何もしなかったんですが、あるときそういったことを「どうしたらいいかなー」と聞いてきました。「うーんどうしようねぇ……あっちゃんたちに相談してみたら?」ということくらいしか言えなかったんですが、長女は何人かのスタッフに相談したようで、自分で折り合いをつけていました。大人が介入していたらそうはならなかっただろうな、と思います。何とか自分で折り合いをつけることを、幼児期から経験できたのは良かったですね。人生なんて思いどおりにならないことがいっぱいあるもんね。そういう時にポキッと折れないで欲しいなぁと思っているので、そういう点でも風りんりんに通わせて良かったです。

そうそう、それから、私が第3子のつわりで動けないときに、5歳だった長女が味噌汁を作ってくれたことがありました。野菜を切って、煮て、味噌を溶いて。週1でクッキングしてた成果ですね! 忘れないでね!

幼児期をどう過ごすかって、結局は親のわがままで決まるんじゃないかなーと思います。その選択肢として風りんりんがあったのは、わが家にとってすごくラッキーでした。あっちゃん、スタッフのみんな、どうもありがとう!

鳥取生まれ育ちのNさん

「いろんなことが“いいんじゃない”と思えるようになりました」私は生まれも育ちも鳥取です。私自身が自然と一緒に育ちました。

風りんりんとの出会いは、長男が持病で普通の保育園へ通えなかった時のあっちゃんとの偶然の出会いでした。

入園時、骨折はあると思って…という言葉にドキドキしましたが、スタッフの温かい見守りで大きな怪我をすることもなく、時間に縛られないのびのびとした保育を経験することができました。

長男は、年長1年間。次男は、2才10ヶ月~4才10ヶ月の2年間を風りんりんで過ごしました。紙パンツをはいたまま入園した次男は、リュックサックが歩いているようでしたが、毎日だっことも言わず、自分の足で最後まで歩いて帰ってきたことをよく覚えています。おかげで、今は体も強く、デコボコ道をたくさん歩いたおかげか運動のバランス感覚も良いです。木登りが得意だったのか、家の柱も天井まで登ってしまう程力も強いです。

長男は、まじめで興味のある事に時間を忘れて没頭するタイプ。今でも忘れられないのは、散歩道でとってきた笹で笹舟を作った時のこと。私も一緒に…と思いましたが、あまりに笹が小さくて諦めました。それでも長男は、「風りんりんで、できたから」と集中していました。たぶん諦めるんだろうな…と思っていましたが、何時間か後に「できた!」と言うのです。ほんとに小さな笹舟が3つも並んでいました。この集中力と自信には本当に驚かされました。

仕事の事情で、次男は、4才で近くの保育園に通うことになりました。自由にのびのびと育ってきたので、大丈夫だろうかと思っていましたが、普通に溶け込んで、全く心配はいりませんでした。それどころか、入園初日から誰に何を言われたわけでもなく自分の座っていた椅子をきちんと定位置に片付けて園長先生に褒められました。身の回りの朝の準備も毎日自分でしていました。おもちゃがなくても外で何時間でも遊べる所や木の枝がリレーのバトンになって楽しめる所、雪の日はソリも楽しいけど、すぐに体だけで体勢を変えながら全身滑りを楽しめる所、高い所でも平気なバランス。彼の中には、森のようちえんでの経験がいっぱい詰まっています。

最近特に感じるのは、疲れたなぁ、困ったなぁと思った時に、何も言わなくても側で手伝ってくれる優しさ。家族が体調を崩した時、黙って自分の茶碗を洗い、拭き、こぼした床の掃除までしていました。驚いたとともに自分で考える力がしっかりついているなぁと本当にありがたかったです。

最後に私、風りんりんに出会えて、見守るを心がけ、いろんな事が「いいんじゃない」と思えるようになりました。親が頑張りすぎない、任せていいんだと思え、自分の気持ちも楽になりました。自分の価値観を押しつけず、子どもたち自身が自由に育ってほしいなと思います。

風りんりんありがとう。